山 田 天 満 宮 



名   称

 山田天満宮 (やまだてんまんぐう)

住   所

 名古屋市北区山田町三丁目25

祭   神

 菅原道真 (すがわらのみちざね)
 木花開耶姫命 (このはなさくやひめのみこと)
 誉田別尊 (おむたわけのみこと)

由   緒

  • 社伝に、四代将軍徳川家綱、広く学問を奨励して、江戸に昌平坂学問所を開いた。尾張藩でも藩主義直、寛文十二年(1672年)文道の祖神菅原道真の神霊を山田村に学問祈願所を建て祀る。
  • 藩主以下、藩士一同朝夕山田村に向い遙拝して文武の上達を祈願し併せて藩の厄除方除の神として祭った。明治五年村社に列格し、その後指定社となる、大正五年七月社殿を改築、昭和四十五年十月一日、八級社に昇格。
  • 同五十八年八月二十三日、社名天神社を山田天満宮に改称する。同五十八年八月二十三日、金神社を合併して。矢田川の橋を天神橋というのは、社名を仰ぎ名付ける。
    【上記引用:愛知県神社名鑑より】
  • 【神社立札より】「社伝」によりば、尾張の二代藩主徳川光友が寛文十二年(1672)藩の学問祈願所並びに名古屋城鬼門の守護神として菅原道真を祀り、社殿を創建したという。
  • 光友は、貞亨二年(1685)の熱田神宮造営をはじめとして、諸寺の建立、諸社の再興・修造を行うなど宗教を重んじた。昭和五八年、同区山田町四丁目地内にあった金神社(大将の宮)を合祀した。

探   訪

  • 3月に参拝したのですが、境内は「梅」の花が満開でした。

御朱印



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