味 鋺 神 社 



名   称

 味鋺神社 (あじまじんじゃ)

住   所

 名古屋市北区楠味鋺二丁目736

祭   神

 宇麻志麻治命 (うましまじのみこと)
 天児屋根命 (あめのこやねのみこと)
 天照大御神 (あまてらすおおみかみ)
 日本武尊 (やまとたけるのみこと)
 武甕槌命 (たけみかづちのみこと)
 別雷命 (わけいかづちのみこと)
 味饒田命 (まじにぎたのみこと)
 誉田別命 (ほだんわけのみこと)

由   緒

  • 神武天皇開国の砌り、宇麻志麻冶命、物部氏を率いて、この尾張地方を平定後は此の里に住居され、御子味鋺田命と共に陵墓は二子山に葬ると近くに一八〇ヶ所の墳墓がある。応仁の乱(1467-68)の兵火に社殿、古記録には焼失する庄内川度々氾濫し社殿の維持運営に里人懸命の努力をした。
  • 「延喜式神名帳」に春日井郡味鋺神社とあり、「国内神名帳」從三位味鋺天神とある神社なり、寛治七年(1093)競馬の神事を催されたのが始めで、戦前は例年流鏑宇麻が行われ有名であった。加藤清正慶長一五年(1610)名古屋築城の際石を運ぶ石橋が境内に残る。明治四十年十月二十六日供進指定社となる。
    【上記引用:愛知県神社名鑑より】
  • 【神社立札より】平安時代初期の宮中の年中行事や制度などを記した「延喜式」に載る「春<日>部郡味鋺神社」にあたるとされる格式の高い神社である。
  • 宇麻志麻冶命のほか六神を祀ることから六所明神ともよばれた。

探   訪

  • 境内には、「清正橋」と呼ばれる、石橋がありました。
  • この神社の南西約100mの位置にあった石橋で、土地改良のため、移築されたと書いてありました。


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